突然襲いかかった激痛!急性膵炎を発症したときの衝撃

10年程前の私は、昼間は飛び回るほど忙しく、仕事が終わると毎晩のように飲んでいました。ビール、日本酒、焼酎、ウイスキー、ワイン、なんでもいけるクチなので家でも外でも飲まない日はありませんでした。

初めての膵炎発症のとき

いつものように飲んだ次の日、確か週末の休みでした。朝起きたら猛烈な痛みに全身が襲われましたが、胃酸過多とストレス持ちだったのでいつもの胃痛だと思い、市販の胃薬を飲んで我慢していました。普段ならそれで良くなるはずが痛みはどんどん激しくなるばかりで、いよいよ部屋中をのたうちまわるところまできました。歯を食いしばって暴れまくって、どうしようもないと気づいたところで、かかりつけの胃腸科に飛び込んだのです。このとき救急車を呼ぶことはまったく頭にありませんでした。

電車に乗って行こうとしたら冷や汗が流れ出し、叫ぶこともできず椅子に倒れていました。たったの数分が数時間にも感じられるほど長く辛い時間。天気のいい週末だったので親子連れがはしゃいでいたのを恨めしく思っていました。電車を降りても歩くことがままならず、どうやってたどり着いたかは記憶にありません。

見つけてもらえない原因

ようやく着いた胃腸科でも暴れまくって、回診に出ていた医師が戻るまで泣き叫んでいました。やっと診察を受けても原因がさっぱりわからず、診療時間が終わるまで粘っても処置の施しようもなかったため、近隣の救急病院へ搬送されることになりました。その間痛みはずっと変わらないまま。声にならない声出泣き叫ぶだけ。この世の終わりかと思っていました。

救急車で運ばれた先でもなかなか見つけてもらえず、深夜にさしかかった頃、ようやっと「急性膵炎かもしれない」と判断されたのです。急性膵炎、初めて聞く病名にそのときはまったく理解ができませんでした。

あとから聞いたところ、なかなか見つけてもらえなかったのは、急性膵炎は40〜50代以降の男性がかかることが多く、当時30代半ばの私には当てはまらないだろうと思われていたようです。結果を待つ間もうずくまってのたうちまわる姿を、たまたま夜勤担当でいた消化器内科の医師が見て、採血項目にアミラーゼを入れたことで発覚したんだそうです。今ならもう少し早く気づいてもらえたかもしれません。

その後エコーやCTの結果から重症急性膵炎と診断され、そのまま緊急入院となりました。高熱もあり、このままだと死に直結するかもということで遠方にいる家族も呼び出され、翌朝対面したことを覚えています。

とにかく発症から処置までの時間が長すぎて、痛みに負けることが多くて記憶が飛びまくっています。

緊急入院から治療の日々

入院から3日ほどはほぼ記憶もなく、ただひたすら痛みと戦っていたはず。痛み止めが効いているときは眠り続け、切れた瞬間に急に起き上がってナースコールを握りしめ、太い筋肉注射を打たれるとまた寝るということを繰り返していたそう。側で見ていた姉がゾンビのようだったと今でも話します。

数日経つと高熱もおさまり、上昇していたアミラーゼも下降へと向かいはじめました。もう一度数値が上がったら終わりだったと主治医から聞いたとき、本当に死に直面していたんだと改めて感じました。

1週間〜10日ほどだったでしょうか、絶飲食を続け、大量の点滴を投入され、トイレも車椅子、痛みがあるので目も開けられない時間を過ごしました。

水分が解除され、食事も重湯から、三分粥、五分粥へとレベルアップしたころにはすでに3週間が過ぎていました。

主治医も驚くほどの驚異的な回復で、1ヶ月も経たないうちに退院することになりました。

急性膵炎の激痛

発症時に起きた冷や汗と吐き気と痛みは、それまで生きてきた中では絶対に形容することができないほど強力な痛みであり、どうなるのかわからない恐怖で怯えました。痛みで目も開けられない、苦しすぎて発狂することもできない、もちろん歩くことも話すこともできないなんて初めてのことでした。あんな痛みにもう一度襲われるなら、死んだほうがマシときっぱり答えます。

あれから10年ほどの間にも、2年ごとに一度は発症しているものの、痛みがピークになる前に自ら病院へ駆け込んだり、救急車を呼んだりしています。

そして今

今年6回目の入院を迎えたとき、急性膵炎ではなく慢性膵炎の急性増悪であり、かつ、膵管癒合不全の疑いがなされました。

そしてここからが本当の膵炎との戦いのはじまりにだと知ることになるのです。

その後の戦いはこちら

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